佐山雅弘 Blog
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2014年12月1日
入院記 Ⅱ
ー急変ー
9月28日の取手ジャズフェスの日ともなると戻し方も頻繁になり顔色悪く疲れ易い。”こりゃ9日まで持たんかな”と思いつつ4日のブルースアレイはPONTA BOX。K先生も来ていて「今日の様子だとすぐにでも入れたい」と週明けの6日に入院。点滴をギリまで受けて「かいやまゆきシャンソンリサイタル」。盟友本多愛也と伝説のヨネヤマママコさんとのコラボもあるので何としても行かなくてはならなかったのだが衰弱の限りでよく覚えていない。あの日の僕を見たひとは「こりゃぁ死ぬね」と思ったことだろう。
ー原因不明ー
噂の胃カメラを始めて飲んだ。苦しい!話が違う!そこには事情があって・・・睡眠誘導剤(麻酔とはまた違うらしい)の使用は同意書など事前の申告・やりとりが必要で、衰弱しきった一刻を争う状態での処置だったのだから恨みも出来ぬ。その後胃カメラは4回飲んだが何れも無痛だった。
さて結果。胃の出口が捩じれて塞がっている。がん細胞は見当たらない。
ひと月の無理は腎臓に祟って随分と数値が悪い。機能回復の度合いに応じてCTスキャン・MRTと検査を重ねる。血液による項目探査も含め癌の兆候はなし。全身の血管に薬品を流して転移箇所をあぶり出すPETでも反応は出ない。こういう点が、またまた結果論から言うとスキルス性の怖い所なのだ。そこまで検査を進めて10月15日。
ー転院ー
K先生の極めて優秀な後輩(日本一とK談)H先生に委ねるべく移ってきたA病院。手続きに手間取って入室前に胃カメラ。今度は「痛くなく!何をしてもイイから兎に角痛くなくゥ」と訴えて事なきを得た。その時に採取した細胞検査の所見が出るまで診断出来ぬ。待つこと一週間。開腹してみないと判じ兼ねる珍しい症例だと言う。だったら早めにやっちゃって下さいと頼むと「今の(衰弱した)状態では持たないよ」。栄養補給を血管カテーテルに切り替えて二週間。やっと手術が11月4日。
ー結論ー
胃癌。発生場所は幽門付近。但し胃の内面でも外面でもなく胃自体の素材の内部。壷で言えばそれを形作っている土そのものの内部。スキルス性という深く隠れて結構な速度で進行する嫌らしい種類の癌らしい。胃が塞がって衰弱したのが幸いして早期発見に繋がったのだから何が幸いするかわからない。
手術翌日は水300cc。その次の日はジュースのみ。その次からもう普通に食事。感染症その他の予防のためにまだまだ痛いのを我慢して歩け歩けという。これが結構辛い。咳をする、くしゃみをする、これがまた痛い。とにかく腹筋を使うこと全てが響く。たいていの動きには腹筋が関係していることを発見した。救いは後戻りが無いということ。10ポイントの痛みを感じたとしたら次の痛みは9や8にはなっても11にはならず、10がくり返されることも無いのだ。このことに思い至ったときは嬉しかった。バンド練習にも当てはまるかな?少なくとも個人練習・研究・勉強には当てはまって欲しい。と呑気なことも考えられるようになって暫くの11月18日に無事退院。11月30日の退院後初仕事に向けて自宅療養期間に書きました。
この稿終わり
PS 1
皆さんからの投稿歓迎します。「◯◯について何か」「××について教えて」など具体的なネタになるものもいいですよね。ジャズに関する質問(初歩的なものでも)題材にすると面白そうなミュージシャンなど音楽ネタが楽しいかもしれません。
一回に読み易い分量(字数)も手探りなのでそんな事も含む色んなご要望、アイデアも有り難いですね。みんなで面白くして行けたらと思ってます。
PS 2
何も無ければ次回は入院中に頂いた色んな差し入れについてあれこれ考えたり感じたりした“よしなしごと“にしようかと。
—PS 3—
今後は基本的に金曜日更新にしようと思ってます。思ってますが・・・まそのへん、ゆるゆるということでよろしくお願いします。
2014年11月21日
入院記
イントロ1/2:何だったのかさっさと知りたい人のために結果報告。
「スキルス性胃癌・第二ステージ」「胃の下部2/3を摘出」
イントロ2/2:是非知って欲しいこと
「胃カメラはすぐ飲もう。痛くも怖くもないから」
睡眠導入剤を使ってもらえば”眠いかな?”と思ってる間に済む。
では本題に。
入院記
佐山雅弘
ー予兆ー
2014年8月下旬。名古屋で連日美味しく飲食していた。ある日歩行時に何やらタプタプ音がする。胃に水が溜っているような。31日に金沢へ。日景修の予約した「揚羽」で恒例の和定食。刺身も良いがその場で揚げる自家製蒲鉾が絶品。いつもならごはんのおかわりをする所が妙に腹に入って行かぬ。思えばそれが11月7日に三分粥を頂くまでの最後の食事となったのだった。その夜のライブ後に「そば処藤井」からの”くちこ”の差し入れ、「おむすび銀のめし」の”へしこむすび”の差し入れも一口がやっと。翌日山代温泉で超一流の寿司屋に連れもらったのだがパクつく三木俊雄を横目に申し訳なくも味がよくわからぬまま。東京に戻ってからは何を食べても吐く計り。
ー町医者ー
ジュースと栄養剤で仕事に出ては日に二度程胃が空になり、一日に1kg弱ずつ痩せて行く。9月10日過ぎに地元の内科へ。「逆流性食堂炎でしょう」と処方箋。10日分の薬を飲み終える頃も症状は変わらず。ということは10kg痩せ。再び訪ねると「ではあと10日分のお薬を。なんなら胃カメラしますか。今予約すると11月初旬には」というのを断って知り合いの医師に相談。
<あとから思えば・・・文章上の寄り道>
①最初の診断時に先ずは胃カメラがベストだった
②10日経って不変の時点で一刻も早い胃カメラの手配が必要だった。他の病名の可能性も探るべきだった。
<本筋に戻る>
かつて業界人、今は高名な医師である「K」という変わり種の友人。プライベートな付き合いを大事にしたいので本業についてのコネクションは使わない主義だったのだがさすがに不安になり「痛くない胃カメラを早急に」と頼みつつ症状を言うと「入院してしっかり調べるのが良い」とのことで10月9日を予定した。
続く・・・
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