増尾好秋
ジャズギタリスト
簡単なプロフィール
東京出身。早大モダンジャズ研究会在籍中に渡辺貞夫グループに正式に迎えられてプロ入りし、一躍スター的人気を博す。1971年、ニューヨークへ渡る。モダンジャズの巨匠ソニー・ロリンズのバンドに通算6年間在籍するほか、リー・コニッツ、チック・コリア、エルビン・ジョーンズ、ラリー・ヤングなど数々のビッグアーティストと共演するなど「世界のマスオ」として活躍。爽やかで人なつっこい笑顔。温かく、感性のままナチュラルに伸びやかに歌うギターが魅力。その音楽性は実に懐が深い。85年よりニューヨークに本格的なレコーディングスタジオThe Studioを所有し、知る人ぞ知る名プロデューサーとしても活躍。スタジオでの仕事が忙しくなり思うように音楽活動ができない時期が長かった。2008年、The Studioの閉鎖により100%ギタリストに復帰。同年8月に10年ぶりの新作『Life is Good』を、自身の Sunshine Ave. Label (masuomusic.com) から発売して演奏活動を本格的に再始動!現在もニューヨーク在住。
経 歴
1946年10月12日、東京の生まれ。日本の戦前ジャズの草分けでバンドリーダーだったジャズピアニスト増尾博の長男。実弟の元章もギタリストである。中学3年の終わり頃に独学でギターを始める。当初はバーニー・ケッセル、グラント・グリーン、ウェス・モンゴメリーなどを聴いていた。1965年、早稲田大学のモダンジャズ研究会に入る。初めて部室でギターを弾いてみせたとき、あまりの上手さに部室が騒然となった話はのちのちまでの語りぐさとなる。当時のジャズ研には、1年上にチンさんこと鈴木良雄(ピアニストだったが、後にベーシストに転向)、そして同級にタモリがいた。
モダンジャズ研究会在籍中に渡辺貞夫に見いだされ、1967年12月、大学3年のときに渡辺貞夫グループに正式に迎えられるという華々しいプロ スタートを飾る。1969年にはデビュー・アルバム『バルセロナの風』を発表。渡辺貞夫グループに3年間在籍し、同グループでヨーロッパや米国への演奏旅行も体験。若くして日本ジャズシーンを引っ張る存在の一人として活躍。スイング・ジャーナル誌人気投票の日本人ギタリスト部門で1970年1位に輝く (その後日本を離れてからも1975年まで5回にわたり1位を獲得)。
1971年6月13日、アメリカへ渡る。日本人ミュージシャン大挙渡米の端緒となった。アメリカで、中村照夫、マイケル・ブレッカー、リー・コニッツ、チック・コリア、エルビン・ジョーンズ(Blue Note『メリーゴーランド』録音に参加)、ソニー・ロリンズ、ラリー・ヤング、ロイ・へインズなど数々のバンドで演奏。以来、現在に至るまでニューヨークを拠点に活動を続けている。
なかでも、1973年4月にモダンジャズの巨匠ソニー・ロリンズのバンドに入団したことは、当時の日本ジャズ界にとって大きな話題になった。このとき弱冠26歳。同バンドにまずは3年間在籍(後に80年代前半にも3年間在籍)。ロリンズのレコーディングに参加し、世界各地での公演や、カーネギー・ホール、リンカーン・センター、ハリウッド・ボールなどにも出演。Masuoの名が世界に知られることとなる。ヨーロッパ公演では、各地のメディアでMasuoの共演ぶりが絶賛された。
1977年、キングレコードのフュージョン・レーベル Electric Bird の第1弾となるリーダー・アルバム、『セーリング・ワンダー』を録音。このアルバムが1978年5月にリリースされて大ヒット。以後、数年間にわたり『サンシャイン・アベニュー』、『グッド・モーニング』など、優れたフュージョン・アルバムを次々に発表し、新しいファンを獲得。自己のバンドを率いて日本でコンサート・ツアーを行い、アメリカ西海岸もツアー。ニューヨークではライブハウス「ミケルズ」や「セブンス・アベニュー・サウス」になどに出演する。
1982年からは、自己のバンドの活動を続ける一方で、再びソニー・ロリンズのグループで3年間ほど演奏し、ロリンズのアルバムにオリジナル曲を提供もする。
このロリンズとの共演期間の後、ライブ活動を一時休止。85年よりマンハッタンのソーホーに本格的なレコーディングスタジオ "The Studio" を所有し、そこにこもって実験的に一人でシンセサイザーなどの機器類を使ったサウンド創りを始める。当時はそのためのツールがたいして発達していなかったこともあって、長期を費やすこととなる。オーバーダブにより一人で作ったサウンドは、1989年にアルバム『Masuo』として発表。翌1990年には、岡田勉とのデュオ アルバム をリリースし、7年ぶりの日本ツアーで全国を回った。
自身のスタジオを使って、1987年頃から主にニューヨークの新進ミュージシャンをプロデュースする仕事を開始。これ以降の20年ほどの間に、約300タイトルのアルバム制作にかかわる。なかでも、松任谷由美(ユーミン)を発掘したプロデューサー有賀恒夫氏と共同で立ち上げた JazzCity レーベル、および後続の JazzCity Spirit レーベルから、プロデューサーとして計40点近くの作品を世に出す。世界的なレコーディング・エンジニアであるデビッド・ベイカー氏と深い交流を持ち、氏のアドバイスを機材選定などスタジオの技術に取り入れていった。The Studioは、まったく宣伝しないにもかかわらず主にジャズのミュージシャンやプロデューサーの間で良く知られた存在であり、常にレコーディング予定で埋まっている状態。増尾は、スタジオでの多彩な活動を展開するうち、思っていた以上に忙しくなって自己の演奏活動ができないというジレンマに陥り、長い間抜け出せなかった。
ミュージシャン復帰宣言として 1998年12月に 『Are You Happy Now』 を日本のオーマガトキから、翌年11月には米国Sunnysideから発表してファンに健在ぶりを示し、いくぶん演奏活動も行うようになるものの、スタジオの仕事は続く。次の自身のアルバムのためレコーディングを数回に分けて行い、それを新設の自主レーベルからリリースしようと考えていた折りに、ちょうど The Studio を手放す転機が訪れる。スタジオの入っていたビルが別のオーナーの手に渡ったため、20年以上に渡り多くの利用者に愛されてきたスタジオを閉じることにしたのだった。
2008年1月末に The Studio 閉鎖。ペンシルバニア州田舎に持つ別宅にプライベート スタジオを新設し、そこへスタジオ機材を移す。演奏活動を本格的に再始動する決意で、2008年8月20日、新設 Sunshine Ave. レーベル から自身の10年ぶりの新作『Life Is Good』を発表。
増尾好秋 オフィシャルホームページ http://www.ymasuo.com/top.htm
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