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ジャズ ミュージシャン ( クリヤ・マコト )

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インタビュー:by @jazz 山本聖子 2008年4月16日


黒人との実生活で体感した
音楽への動機付け。 その中心軸を保って
世界で多彩に表現する
音楽のマルチプレイヤー!


音楽って自分の生活の中の何なんだろうとか。いわゆるアイデンティティーのような、位置づけというような作業を一度やらないといけないと思うんですよね。その動機づけを間違ってはいけない。その辺がよくわかっているミュージシャンであれば、どんな人とでもボクは一緒に音楽をやるし。たとえ教養や情報に満たされていたとしても、逆にその肝心のところがわかっていないと、ね。

(クリヤ・マコト)



<父親の影響を受けた子供時代、ラジオと練習した大学時代>

●音楽との出会いですとか、その辺のお話をお聞きしたいのですが。

子供の頃に、父がピアノを買ってくれて、ピアノをやることになったのが、きっかけかな。でもボクは、ウクレレとかギターもやったんですよ。オヤジに教えてもらって。オヤジはミュージシャンだったんですね、ハワイアンの。演奏で小銭を稼いでいたわけですよ。まあミュージシャンは皆、小銭を稼いでいるわけなんですが(笑)。プロよりもさらに小銭を稼いでいて、サラリーマンと両立していたってわけ。結局父は、サラリーマンの道を選んだのですが、この業界の大変さって言うのは十二分に理解していたわけですよ。だから楽器をやること自体については、人一倍賛成してくれたんだけど、それでメシを食うとなると、いきなり大反対になる。いざ真剣にやるとなると、それは大変だからやめなさいということになってしまう。

●辛さを見てきたからのアドバイスだったんですね。

でもボクがCDを1枚、2枚出しても、オヤジはまだ反対していた。そんなもんで食えるわけないだろう、と。まあ、あの時代は高度経済成長で、サラリーマンが一番の時代だったからね。でも反対は受けたけど、オヤジのおかげで音には恵まれていたなあ。家の中にはジャズだのラテンだの、いろんな音楽が流れていたから。だけどボクは他のミュージシャンと違って、音大に行ったとか、そういう教育を受けているわけではなくって。いわゆるセオリーとか教育っていうのは、まったく受けていないんですね。

●留学先の大学では、ピアノの練習室が沢山ある恵まれた環境だったようですね。

そうなんです。でも理論書を読んだとかではなくって、練習室に入ってラジオをつけっぱなしにして練習していた。ラジオから音楽がどんどん流れてくるからね。そして、片っ端から気にいった音楽のマネをしてみる。それはジャズピアノのこともあったし、サックスのこともあった。ドゥービー・ブラザーズみたいのもあったし、ロックのこともあった。アメリカにいると、ロックなんていっぱいラジオにかかってくるんですよ。なんせラジオだからタダですし(笑)。カセットテープをデッキに入れて、寝ている間にずっと番組を録音しておくんですよ。で、翌朝起きてテープを聴いて、「あ、この曲気にいった!」と思ったら、マネをする。その繰り返しでしたね。

●それがクリヤさんの音楽の引き出しを増やしていったということでしょうか?

まあ、それが後で仕事につながる技術であったかどうかっていうのは、よくわからないですけどね。なんせ、自分が好きだったり、気持ちいいと思っているものをどんどんやっていく。後から考えると、好きなことをやっているほうが人間、伸びるんですよね。自分自身を時々誉めながらね(笑)。あるいは弾けるようになっていくと、たまには誰かが評価してくれて、「君、ウチのバンドに入ってちょっと弾いてみないか?」っていうことがあったりとか。そういうことがあるから、だんだん良くなっていったりするんじゃないかな?


<黒人のコミュニティーで体感した、音楽へのスピリット>

●留学中に黒人のコミュニティーで生活されたということですが、音楽的に一番に影響を受けたのは、どういうことでしたか?

やっぱり、黒人たちと「一緒に生活する=音楽する」ということです。 つまり、音楽をするということは生活も一緒にするということ。彼らの中では、両者が同時に共存しているんですよ。たとえば「ガス屋さんや電気屋さんが、料金を払えないから、止めに来た」なんて話をしているうちに、それがそのまま歌になっていく。友達同士で話が弾んで、そのままゴスペルとかゴスペルクワイアみたいな感じになっていく。もう体全体で自分を表現して、わかって欲しいみたいな思い。ホントにああいう自然なところから、音楽が出てきたんだなあって思います。

●生活自体はシビアな感じですね。

そうですね。彼らにはよく言われたんだけど、「いいなあ、お前は。オレたちは逃げ場がないんだ」って。ボクは、日本に帰ってきちゃえば人種差別っていうものはないじゃないですか?でも彼らは日本に行こうがアメリカにとどまろうが、どこに行こうと最後まで人種差別ってものがあって、それがついてくるって言うんですよ。たとえ同じ資格を取ったとしても、なかなか有利には運ばない。大体は白人にポジションを取られてしまうから、いろんな意味で不利なんだと。社会から一番プレッシャーを与えられているですよ。

●そんな生活の中、彼らが音楽をやる時っていうのは、どんな感覚なんでしょうか?

最後のとりでっていうか、彼らとしての誇りっていうか。音楽をやる自由だけは、誰にも奪うことが出来ないっていう感じかな。自分を解放したり、快楽を追求したりするということに関しては、命と引き換えみたいなところがあって、そこに賭けているわけですから。それはもう、生半可なんてもんじゃないんですよ。ボクはそういう音楽をそばで見ていて、それが当たり前なんだろうと思っていたから、たとえばカッコつけるためにやるとか、商業音楽をやっているとか、あっ、ボクも商業音楽やってますけど(笑)、そういった理由って言うのは、ボクにとっては二番目なんですね。先に学んだのは、そういったスピリチュアルな、人間の人生と引き換えの、命がけの音楽だったから。みんながよく言うことなんだけど、「とにかく、音楽だけは奪えない」ってね。自分の奥さんや子供がどこかに誘拐されたとか、あるいは親族がKKKにやられてしまって、ある日突然死んでいるとかね。当時、そういうことを耳にするわけですよ。全てもう、夢も希望もない。絶望の人生なんですよ、基本的に。そんな中で、これだけは譲れないものとして、音楽がある。彼らにとって神聖なもののひとつとして、音楽を演奏するっていうのがあるんですよね。

●いわゆる「音楽を勉強する」って感覚とは全然違ってますね。

ああ、それはもう全然違っていますよね。たとえばボクが日本に帰ってきてから「どうやって音楽できるようになったらいいんですか?」とか聞かれるわけですが、目的が全然違っているんですよね。音楽ってそういうコトじゃないんですよ。だから音楽の動機付けというか、定義づけの部分が全然違っているから、わからない人にはいつまでたっても、最後までわからないわけですよ。これって、すっごく大切なことなんですが。なんていうかなあ、弾けない人は弾けないんだろうし。ボクなんかは音大にも行っていないし、それがある部分でNegativeに出ることもあるんだけど。でもボクのまわりでは譜面が読めない人も一杯いるし。黒人達もそうだし。でもたとえ譜面が読めなくても、プロでどんどんやっているし。B.B.キングなんかもそうだしね。まあ、ボクが日本に帰ってきたときに一番カルチャーショックだったのは、そういう音楽の動機付けの部分だったんです。

●そうですね、日本での普通の生活とはかなりちがっていますからね。

それに、日本はジャズやゴスペルを生んだ場所ではないから、やはり動機付けになる社会がないんですよ。でもね、それはしょうがない。ないんだから。日本人だったら日本の演歌の心がわかるとか。むしろそれを理解してから黒人のブルースを聴くと、ああ、日本人のスピリットと同じようなことをやっているんじゃないかなあとか思うわけですよ。ようするに、アメリカのブルースやR&Bは、日本で言うところの演歌じゃないかって。そう思えばなるほどなってコトなんですよ。ま、どちらにせよやらなくてはいけないのは、民族意識というか、音楽っていうのは自分の生活の中の何なんだろうとか。アイデンティティーのような位置づけ作業を一度やらなきゃならないんですよ。

●仕事をするなかで、その位置づけの違いを感じることはありますか?

それはありますよ。音楽には色々と種類があるわけで、そこに等しく同じバリューを押し付けてはいけない。社会に多様性があるように、音楽にもまた色んな目的の音楽があるわけですし。だから例えば、仕事の音楽で商業として自分の音楽が出ることによって、人と接点を持って、社会に自分の力を奏で出すことができる。そんな使い方のコトを考えれば、これはある種の社会的に還元できる音楽を、ボクは東京でスタジオに入って作っているのかなあと。となると、社会においてその状態は非常に成立している訳ですよ。より多くのCMがTVから流れて、それによってより多くの動作が行われるということは、社会の中で自分が一端を担ってるわけだから。それは大いに意味があることですね。でもこれは、さっきのスピリットとはまた全然違う話で、価値を押し付けちゃいけないんですよ。それぞれの目的については、それぞれの世界をそっとしておいてあげなくてはいけないんで、それぞれのバリューを正当に評価してあげなくてはいけないと思うんです。

<マドリッドで体感した世界的な音楽の流動とハイブリッド>

●スペインのマドリッドに行かれたとき、面白い体験をされたと拝見したのですが。

マドリッドという場所には、あらゆる音楽が集まってきちゃうっていうところがあって。すごく面白い手法で、これとこれを混ぜて、自分たちのものにしてみようという積極的なところがあって。まさにこれは、ハイブリットによって極上の音楽を創っていくってことですよね。彼らはそれに加減もしないので、これがまたすごく面白いんです。モロッコとか北アフリカのほうに行くと、それがもっと形にならない状態でゴロゴロと転がっているというか。聴いたこともないようなリズムとかメロディが平気でたくさんあって。砂漠に行けば、砂漠の音楽がある。ベルベル人とか遊牧民とか、そして砂漠のメンタリティーというものがある。アフリカでは、マラケシュにしてもカサブランカにしても、空港や駅を降りると、いきなり目の前に砂漠が広がっていたりして、そこに普通に家があって、少年とヤギが住んでいたりするんですよ。そういった場所では、商品としてまとまっていかない部分もある。でもジブラルタル海峡を渡っただけで、ちゃんと落ち着いた音楽に完成されていくっていうのが、すごくおもしろいですね。マドリッドの音楽には、いい意味で、完成品のにおいというか、商業品のにおいというのがするんですよ。

●フラメンコとかはどうですか?

ボクが最初にスペインでフラメンコを聴いたとき、昔、インドに行ったときのことを思い出してね。どう考えても、あれはそう。やはり直結しているというか、横の流れでね。音楽がインドからサウジアラビアの方を通って、北アフリカに行って。そのまま海峡を渡ってスペインに行ったんだなあという流れが、ありありと浮かんできますよ。例えば日本の音楽のメロディも、タイやマレーシア、中国とかと似ているところがありますよね。でもフラメンコとインド、アラブ音楽は、それ以上に似ている。だからやっぱり民族性とか歴史というものが、強く影響していくのでしょうね。

<多様な活動を行う上でのメンタルの切り替えとジャズについて>

●プロデュースやアレンジをするとき、演奏するとき。それぞれ、どのような点を一番に重視しますか?

演奏家、兼作編曲家という方は非常に沢山いらっしゃいますからね、皆さんそれぞれに違っているとは思いますが。例えば自分が作曲や編曲をやっている時というのは、最終的にその楽曲をパフォーミングする方がいるわけですよね。そのパフォームする人の持ち味をいかに引き出せるかということですね。その楽曲を通じで、その人の個性を引き出してあげるようにするのが一番大事です。

●演奏される時はどうですか?

自分が実演する時というのは、自分の個性が上手く出せるようにということ。その音楽のアイデンティティーが見えて、それをしっかりリスペクトした上で、実演していく。それはポップスかもしれないし、ジャズのスタンダードなのかもしれないけれど。でも、そこを一歩間違うと、パロディになっちゃう(笑)。アレンジとか実演とかっていうことは、対象をこねくり回すことではなくって、1つはその楽曲の背後にあるものをリスペクトすること。だから自分がアレンジするときは、その実演する人をリスペクトして、この人には、こういういいところがある。そのいいところをまず、世の中に知らしめてあげようと。これだけいい個性を持っていますよ、と。自分が演奏するときは、その曲の作者がガーシュインであろうと、だれでもいいのですが、まずその人の存在をリスペクトする。その音楽がそれまでに存在してきた意味。それ自体を宝物のようにリスペクトして、その良さを壊さずに、自分の個性や味を出す方法を自分で導いていく。それがボクのやり方なんです。

●クリヤさんにとって、ジャズとはなんでしょうか?

ジャズも色々とあるよね。スタジオやライブハウスで、ポップスの一部としてジャズ的な演奏をするとかっていうのもあるし。でも一つの自由の象徴というか。最初のほうに出てきた黒人の問題とかにも関連あるのですが、たとえ日本人同士でジャズをやっていたとしても、そこを感じられなければジャズじゃないのかもしれない。でもアメリカ人でもそうですがね(笑)。アメリカ人でも、その辺をわかっていない人がやっていても、それは全然ジャズじゃない。全く自由じゃなくって。グルーブの良さとかっていうのも全然わかっていなくって、ただ曲のうわっつらだけを弾いているとかいう人もいるしね。そういったスピリットを持っていなければジャズではない、と考えてみたら、ジャズというものは自由な意思というか、開放への追求というか、そういう部分を感じながらメンバーとシェアしていくのがジャズのアンサンブルだと思うんです。でもそれはアンサンブルの時だけではなくって、ソロの部分でもそういった自由の感じでやれればいいなというか。まあアメリカにしても日本にしても、スゴイ人というのは、始まりの動機付けの部分というのが間違っていないんですよね。大体にして残っている人というのは。

●そう考えると、動機付けはますます大切になりますね。

でもね、世の中の半分くらいの人は、そこんところを勘違いしているというか。でもそういう人に限ってよく「悩んでいます、どうやって楽器弾けるようになればいいですか?」って。だからスタートの自分の心の位置づけというのが、ホントにすごく大切なんです。まあ、アドリブにしてもジャズはクラシックとは全然違っていて、譜面に書かれているわけでもないし。すごくコンフュージングというか。迷いやすいんです。だけどもスタート部分のところを考えると、ジャズって難しいもなにもないんだよね。人生そのものって考えれば、そして放っておけば自分は潰されてしまうという社会の中で、音楽をやるこの瞬間だけは、自分はもうパーティ!ですよ。自分の中で快楽とか自由をそのままパーッとやりたいと思っているわけですよ。だからその爆発的なエネルギーの発散であるわけで。単にそれだけのこと。難しいも何も、あったもんじゃない。誰も譜面なんか読めやしないし。そういう問題ではなくって、ジャズってもっと精神的なものだって思うんです。

●日本人の私たちは、どうとらえればよいでしょうか?

まあ確かに、僕らは黒人じゃないし、突き詰めていけば、日本人なのになんでジャズをやっているんですか?ってことになるよね。だから我々は黒人と同じようなジャズを求めるというのは、実はナンセンスだってことになっていく。ボクは時々ヨーロッパとかでやっていて、「日本人が何しに来たんだ?」みたいに、良くも悪くも期待されることがある。まあそれは、1950年、60年代以降、ある意味でジャズはインターナショナルな音楽になったってコトですよ。アメリカのニューオリンズからシカゴに行って。そのままニューヨークに行って。ニューヨークの中でも、ハーレムやアップタウンの方からだんだんとビレッジの方に移っていって。挙句のはてには、ニューヨークから飛行機に乗って、ミュージシャンは世界に広がっていった。だから世界にいろんなジャズがあっていいんだと思います。

<お忙しいところ、ありがとうございました>


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