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やっぱり、リズムは音楽の土台だというのは間違いないと思う。 難しいテクニックだとか色んな事に挑戦するのはとても大事な事だけど、やっぱりシンプルに体でリズムを感じられるか、まずはそこだと思います。 それには遊び感覚とか、ダンス感覚とか。 (カルロス菅野)
● それではまず、音楽との出会いをお聞かせください。 音楽をやり始めたのは中学生の頃です。その頃フォークソングが流行っていて、フォークギターを買ってもらったんです。同じ様に、学校にギターをぶら下げてくる連中がいっぱいいてね。そういう仲間達とコーラスバンドを組みました。 これが音楽との最初の出会いです。 高校で、広島に引っ越しして今度はロックバンドをやりました。 ● ロックバンドですか!? はい。ブリティッシュ・ロックバンドを。 フリーとかバッド・カンパニーとかやりましたね。 その後、大学で軽音楽部に入って、二年生になったら、ビアホールでボーカリストとしての仕事を始めました。 そのまま大学時代は色々な場所、それこそ夜のディスコとかで演奏していましたね。 ● ロックバンドではヴォーカルをされていたのですか? そうですね。 でも、ヴォーカルって暇な時があるじゃないですか。そういう時にどうしようかなって思っていたら、当時ドラムをやっていた橋本章司(現HOUND DOG)にパーカッションを勧められて。コンガを買ってやり始めたら、だんだんそっちの方がおもしろくなってきてね(笑) 大阪フュージョンが流行った頃にはもうパーカッショニストとして仕事をしていました。その後、知り合いのミュージシャンを通じて、松岡直也さんのバンドのオーディションを受けて、すぐそのバンドに入って。それがメジャーのキャリアの始まりです。 ● ディスコで歌われていた時はどのような歌を? そりゃ、仕事ですから何でも(笑) ビリー・ジョエルからオーティス・レディングまで。でも、パーカッションをやり始めたら、途端にパーカッションがおもしろくなって。それでもう、一時期、歌は歌わない事に決めました。 ● お好きなアーティストは? 意外に何でも。 まだその頃はストレート・アヘッド・ジャズとかそういう世界には全然行っていなくて。 ケニー・ランキンだとかマイケル・フランクスだとか、当時のボビー・コールドウェルとか。ラテンはその頃はティト・プエンテっていう、ラテン音楽界の神様みたいなティンバレス奏者がいたのですけど。彼がラテンパーカッションのメーカーのプロモーションで来日していて。そこで見たのがあまりに凄くて、“これすげえ!俺、もうこれやろう!”って決めました。もう、そこから一気にラテンにのめり込みましたね。 そのプロモーションではクリニックもやっていたので、参加して叩いたら、向こうのミュージシャンにバリバリダメ出しされて(笑)それからガーって入り込みました。 ● やはり、相当、練習されたのですか? 一時はしていたかもしれないですね。今考えると。どこでもかしこでも叩いていました。 車の中でもどこでも。 ● ラテンは何方かに教わった事とかはありますか? いや、関西に居ましたから教えてもらう人がいないわけですよ。 どうしようかと思って、その時、知り合ったティンバレス奏者の楽器運びをやったりしながら、ついてまわって、とにかく情報を集めました。今みたいにネットが無い時代ですから、色んな方法で情報を集めましたね。 ● その後、自費で渡米されたそうですが・・・。 NORAがニューヨークに行った時に、デモテープを持って行って、ラテンのエージェントに聴いてもらいに行ったんです。 一件は、けんもほろろで(笑)で、“もう一件行ってみよう!”って行ったら、その二件目のエージェントがおもしろがってくれて。 全員でニューヨークに来たら、ブッキングしてあげるよ、って言ってくれたんです。 それを聞いた僕らは、必死にスポンサーを探したのですが、誰も見向きもしてくれなくて。 結局みんなでお金を貯めてね。“自費でニューヨーク進出だ!”みたいな感じではなく、ライブは出来るかわからないけど、遊びに行こう、って事になったんですよ。 それでニューヨークに2週間行って、結局は6,7本ブッキングされましたね。 ● 海外では色んな所へ行っていますね。 もうね、おもしろい話がいっぱい! 中南米なんか行くと、こっちでは考えられない日常ですから。 コンサートも、野外の闘牛場みたいな所でやって、ステージは出来ているけど電気が来ていないとか。もうね、こういう話だけで本が一冊書けますよ(笑) でも、だんだんそういう事への対処も身につけて。 日本に帰ってきたら、もう、これは天国だって思いましたね。 ● 93年には国連平和賞を受賞されましたね。 はい、びっくり仰天しました。 実は国連平和賞というのは国連に勤めている職員の方々が出すんです。 国連は色んな国の方が働いているから、東洋人なのにラテンをやっている僕達がすごく象徴的に見えたそうで、それが受賞に繋がったみたいです。 ● 95年にはグラミー賞にノミネートされましたね。 そうですね。授賞式に行きましたけど、おもしろかったですよ。 授賞式が終わったら、数か所の会場でパーティが行われていて、ホテルの宴会場では一流ミュージシャンがコンサートをやっていて、それが観れるんですよ。楽しかったですね。 ● オルケスタ・デ・ラ・ルスを脱退されて、熱帯JAZZ楽団を結成された経緯を教えて頂けますか? デラルスを離れた後、昔に自分が一緒にやっていた人々の事を思い出していて、インストゥルメンタルの世界を見ると、日本のミュージシャンは海外と比べても、全く引けをとらないなって思ったんです。 それであれば、自分の思う、これ以上ない様なメンバーを集めて、何かバンドをやったらおもしろい事が出来るに違いないって思って。神保(彰)とか(高橋)ゲタオさんとかに声をかけました。それで、実際にライブを始めたら、一回目から超満員で。 その後、自主制作でライブアルバムをつくって出しました。それはインディーズで。 ● さて今回、ソニーミュージックさんへの移籍第一弾として、 ニューアルバム“熱帯JAZZ楽団XIV〜Liberty〜”の発売、記念ツアーとなりますが、 アルバムはどの様な内容になっていますか? 移籍した事もありますが、熱帯JAZZ楽団の結成15年目という事で。 最初の頃、僕は、ラテンとかジャズをもともと好きな人にも楽しんで欲しいけど、そんなものには触れていなかった人達にも聴いて欲しかったんです。僕はそれまで海外でストレートにシンプルにノリのいいものを聴いて貰って、盛り上がった瞬間の喜びとかを、散々味わってきましたから。そこに行きたいと思って。 そこをメインに始まって、その後は少しずつ、コアな方に皆を導いていこう、っていう様な思いで15年来ていたのですけど。ここに来て、そろそろ本当に自分達がやりたいコアな部分を発揮してみようって思って。そんな強い思いが詰まっているのが今回のアルバムです。 アルバムタイトルを“Liberty”(リバティ)にしたのも、ジャコ・パストリアスの“リバティ・シティ”という曲も入れていて、自分達の自由な表現を、皆にぶつけてみようっていう意味もあるんです。 あと、メンバーのオリジナル曲が4曲入っていますけど、これがおもしろい曲ばかりなんですよ。 ● “オゲンキデ☆スカ”とか(笑) この曲は最後にメンバー全員でコーラスをやっています。 俗にいう“オヤジコーラス隊”。それはね、神保(彰)君がちゃんと歌詞を書いて、“ここはコーラスにするんです!是非してください!”って。(笑) ● 私事ですが、自宅で聴いていたら、うちの息子がノッていました。 そうでしょう?それが大事です。メロディがわかりやすいって事ですね。 神保(彰)君ね、あんなに難しいドラムを叩くのにメロディはすごくシンプルで、しかも美しい。だから、この曲はどうしても最後に持ってきたくて。 ● ミュージシャンやミュージシャンを目指している方々へ向けて、アドバイスなど お願い致します。 やっぱり、リズムは音楽の土台だというのは間違いないと思う。 難しいテクニックだとか色んな事に挑戦するのはとても大事な事だけど、やっぱりシンプルに体でリズムを感じられるか、まずはそこだと思います。それには遊び感覚とか、 ダンス感覚とか・・・。日本人って踊る事や、体を動かす事にテレがあるけど、それを払拭して、自分の体をリズムの上にのっけてみる。まずそこのスタートからはじめてみるっていうのは大事だと思いますね。それはどんなスタイルでもです。その上で、自分のやろうとしているテクニックがグルーヴしている体にマッチしていくか。先にフレーズが作るリズムを演奏しようとすると、そのフレーズの持っている譜割にばっかり集中してしまう訳ですよ。そのフレーズの持っている譜割が大きなグルーヴにどういう風にマッチしているかって事を理解したうえでそのフレーズを使わないと。 ● 踊りながら演奏するという様な事ですか? そう。体のどこかにステディなグルーヴをつくって、そのステディなグルーヴに対して、細かいフレーズが自然に演奏できるように、ステディなグルーヴを刻んでいる時に細かいフレーズをやろうとすると、皆、体が止まってしまう。そうではなく、体を止めず、リズムをこなすってことが絶対に重要になってくる。ジャズはもともと体を動かしていたものだから。ここが音楽の原点だと思うんですよね。 人間の歩くリズムがあって、例えば苦しい労働の中で何か歌うとしたら、その労働の中にあるリズムとか、歩く事とか、そういうものの上に生まれるグルーヴの上で何かを表現するわけだから。それがグルーヴだと思うんです。 ● 練習法としては踊ったりとかですか? 耳から入ってくるリズムに合わせるのではなくて、体の中にリズムをつくる。僕はマックスとミニマムのシーケンスと例えば4ビートだったら3連がずっと細かく流れているとか16だったら16分が細かく流れている。そのミニマムなシーケンスに対して、スウィングしている大きなグルーヴがあるじゃないですか。そのマックスの大きな方のグルーヴをどこか体の芯に作って、それに細かいフレーズをちゃんとフィットさせていくっていう作業をする。細かいフレーズからスタートするとその大きなグルーヴが見えないまま、フレーズをこなしているだけになっちゃう。タイムとフレーズだけになってしまうんですよ。 ● 最後に今後の活動について教えて頂けますか? 今後はね、いつもライブで言っていますが、「目指せ、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ!」 80歳になってもやっているぞ、みたいな。それなりの味で演奏できる人達になりたい。 あとは色んな人と出会って、色んなコラボレートをやっていきたいです。 最終的には何かおもしろいショーをつくってみたりとかね。そういう夢があります。色々やりたいです。欲張りですから(笑) ● 今回のアルバムの次はどういうアルバムをつくりたいとかは考えていらっしゃいますか? もうすでに考え始めています。ひとつレコーディングが終ると、もう次の事を考えているんですけど。まだまだ、色々模索段階です。 ● 音楽以外に趣味などはありますか? フライ・フィッシングですね。あるジャズフェスに行った時に、横をキレイな小川が流れていて、そこで皆が釣りをしていたので、やらせてもらったら、キレイな魚が釣れて。 “これはいいな。”って思ったのがきっかけです。凝り性なので、釣り具も色々作ったりしていますよ。 今がね、ちょうど良い時期なんですが、休みが無くて。 もう、うずうずしています(笑)