カルロス菅野
<パーカッショニスト>
1957年 東京都出身
1984年 「松岡直也グループ」加入
「日野皓正&ハバタンパ」「VALIS」「日野元彦アバナイトロプス」に参加
1984年 「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に結成メンバーとして参加
1989年 「オルケスタ・デ・ラ・ルス」自費でNY初上陸 1990年 「オルケスタ・デ・ラ・ルス」世界デビュー
1993年 国連平和賞受賞 / NHK「紅白歌合戦」出演 1995年 グラミー賞 トロピカル・ラテン・アルバム部門ノミネート
1995年 「熱帯JAZZ楽団」結成
1996年 玉置浩二ツアー・アルバムにパーカッショニストとして参加
1998年/1999年 世界的ジャズの祭典「NEW YORK JVC JAZZ FESTIVAL」出演
2001年 「熱帯倶楽部」結成 2004年 アマチュア吹奏楽団や中高校ブラスバンド部へのクリニック活動を開始
2005年「熱帯JAZZ楽団」結成10周年を迎える 2005年 クリニック活動の集大成「神戸JAZZ2005」開催
1957年東京生まれ。高校時代を広島、大学時代を大阪・神戸で過ごす。
19才の時ヴォーカリストとして音楽活動を始め、21才の時にコンガを買ったのがパーカッションとの出合いとなる。
1984年、活動拠点を大阪から東京に変え、松岡直也グループへの加入でフュージョンシーンの表舞台へ進出を果たす。ほぼ同時に「日野皓正&ハバタンパ」「VALIS」「日野元彦アバナイトロプス」等多くのユニット、セッションに参加。この年、大儀見元、ノラによって結成された「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に参加。
1989年に松岡直也グループを脱退。「オルケスタ・デ・ラ・ルス」の一員として自費で訪米し、ニューヨークのクラブ6ケ所でライブを行い、翌年の世界デビューを決める。ファーストアルバムは全米ビルボード誌ラテンチャートで首位を獲得、以後11週間連続キープする快挙となる。またその後、大儀見元の脱退により、1990年5月~1995年までオルケスタ・デ・ラ・ルスのリーダーとして全米、中南米、ヨーロッパを含む世界22カ国を飛び回り、1993年に国連平和賞受賞。1995年にはグラミー賞ノミネートなどデ・ラ・ルスを日本が誇るサルサバンドへと導いた。
1995年12月、デ・ラ・ルスを脱退。今の時代のトップミュージシャンを集め、"ラテン・ジャズビッグバンド"をコンセプトにした熱帯JAZZ楽団 を結成。1996年からは玉置浩二ツアーやアルバムにパーカッショニストとして参加。 現在、熱帯JAZZ楽団のプロデューサー、リーダーとして国内で7枚、海外で3枚のアルバムを発表し、1998年、1999年と2年連続でNYの"JVC JAZZ FESTIVAL"に出演。2002年6月に初のDVDも発売。2005年には熱帯JAZZ楽団も結成10周年を迎え、各地にて記念ツアーを行う。6月21日には結成10周年記念アルバムをビクターエンタテインメントより発売。スペシャルゲストとして渡辺貞夫を迎え、共演する。
2001年10月より多くのミュージシャンとのコラボレートの場としての新プロジェクト「熱帯倶楽部」を立ち上げ、第一弾ユニットとしてspirit of rhythm を結成。ビクターより現在までに2枚のアルバムを発売。その後、熱帯倶楽部の活動としてラテンジャズ・セッションTropijam 等のユニットを展開中。
2004年より各地のアマチュア吹奏楽団や高校のブラスバンド部等へのクリニックを開始。2005年にはその集大成として中高生を対象とした年間4回のクリニックとオーディションを通してメンバーを選抜し、最終的には熱帯JAZZ楽団のステージで共演するという「神戸JAZZ2005」をプロデュース。10月2日に神戸文化ホールにて開催し、1,500名近い観客を集め好評を博す。
その他、多彩なアーティストのアルバムやコンサートのプロデュース、パーカッションクリニックやセミナー等に関しても精力的に活動。パーカッショニストだけにとどまらず、多方面に渡って活動中。
カルロス菅野 オフィシャルホームページ
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