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ジャズ・シンガー ( マリーン )

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インタビュー:by @jazz 吉川明子


16年ぶりの復帰。フィリピンの歌姫が新たな決意で向かう、メジャーでの挑戦。


私がもう一度メジャーでやりたいというのには理由があるんです。それは、以前メジャーだった時期の思い出が、まったくないからなんです。忙しすぎて、仕事をこなすだけで精一杯でした。だから神様にお願いしているんです。今度のメジャーでは、ひとつひとつの仕事をすべて味わいたい、って。

(マリーン)



〜歌いはじめたきっかけ〜

●10歳でコンテストに出場し始めたきっかけを教えてください。

気がつけば歌っているような幼少時代だったので、きっかけは覚えていません。コンテストで同じ年くらいの子供たちが歌っているのをみて、これだったら私もいけるなぁと思ったのでしょうね(笑)自分の名前を書いて出しておけば、だれでも歌えるようなコンテストだったので、簡単に出場できたんです。



●ちなみにどんな歌を歌っていらしたのですか。

バーブラ・ストライサンドに憧れていたので、彼女の曲が多かったです。フィリピンには童謡とか子供の曲っていうものはほとんどなくて、子供たちは、みんな大人の歌を歌います。難しい曲はそれだけでポイントが高いので、私はとくに難しい曲を選んでいました。
コンテストで勝つと、賞品として、袋いっぱいの砂糖やお米をもらえたんです。それを

持って帰ると母がとても喜んだので、その顔をみたくてコンテストにでるようになったというのも理由のひとつです。

●当時からデビューしたいと思っていたのですか。

思っていませんでした。初めてデビューしたいと思ったのは中学生くらいかな。大学にいって勉強したいと思ったのですが、そのためには学費が必要でした。当時は中学生だし仕事もできません。だけど歌ならお金をもらえるかもしれないと思ったのがきっかけです。

14歳で、初めてプロを目指して、オーディションを受けました。オーディションには受かったんですが、面接の方に住民票を持ってきなさいと言われ、素直に役所で住民票をもらって持っていってしまったんです。そうしたら14歳なの?と聞かれ、すぐに帰されました(笑)フィリピンのライブハウスで歌えるのは18歳から。私は若すぎました。

それから1年間はなにもしていなかったんだけど、やっぱり歌いたいという気持ちは続いていました。そんなときに、すでにライブハウスで歌っていたお友達に、ブッキングを頼まれたんです。彼女も16歳で私と年齢はそんなに変わらなかったけど、とても大人っぽい子でした。きっと住民票なんていわれなかったでしょうね(笑)
でもそんな成り行きで、ライブハウスで歌うきっかけをいただきました。そして歌ってみたら、そこのオーナーにレギュラーにならないかっていわれました。プロとしての始まりですね。
〜来日のきっかけ〜

●来日のきっかけを教えてください。

15歳の時、すでに日本のプロモーターからお話をいただいていました。だけど当時はまだ行きたくなかったんです。学校の勉強を休まなくてはいけないことが嫌でした。
大学に入ったら長いお休みがもらえるから、それからだったら行ってもいいとお話しました。そしたら本当に彼は待っていてくれました。それで大学生になってから、来日を決めました。
来日してすぐに、いろんなレコード会社の方たちと会って、4ヶ月でデビューが決まりました。テレビ番組の主題歌やCMの挿入歌に使われたりもしましたし、自分のポスターが原宿の駅一面に張られたこともありました。だけど、売れなかったですね(笑)。
それには理由がありました。なんといっても私の気分がのっていなかったんです。アイドルという扱いがすごく嫌でした。私は歌が歌いたくて日本に来たのに、誰も聞いてくれない。写真を撮られたり、ただ『ニコニコ』しているだけのアイドルは子供っぽくてすごく嫌でした。

〜アイドルからジャズシンガーへ〜

●そんなアイドルをやりながらも、すぐにジャズシンガーとしても活動を始められましたよね。当時のマリーンさんにとって、ジャズの魅力とはなんだったのですか。

当時は、とにかく大人がやっていることをやりたいと思っていました。もうとにかくアイドルが嫌で、なんで19歳にもなってこんなことを…と思っていたんですね(笑)
大人の世界に入りたい。私にとっては、それがジャズだったんです。

昼間はデパートの屋上で、子供たちを相手に歌っていたけど、子供は私の歌を聴いてはくれませんでした。むしろお母さんたちのほうが聴いてくれていましたよ(笑)
夜はしっかりお化粧もして、歌を聴きに来てくださる人の前で歌える、という環境だったので、楽しかったですね。昼とはすごくギャップはありました。

ジャズを歌うようになって、瞬く間に口コミで広がっていました。行く先行く先、ライブハウスはいっぱいになりました。夜のライブなのに、昼間から人が並ぶような状況だったんです。自分の歌を聴きに来るために、並んでくれているということはとても幸せなことですよね。当時、ライブハウスにきてくれていた方たちの中には、今でも聴きにきてくれる方がいるんですよ。

●そのころはどんな歌をうたっていたんですか。

「You’d be so nice to come home to」 とか、「Misty」「Fly me to the moon」が好きでしたね。ジャズのスタンダードを、カルテットでよく歌っていました。

●当時のことを振り返ってみていかがですか。

アイドル時代は、仕事が嫌で仕方がなかったけれど、なりたい目標があったから頑張れたんだと思います。アイドル時代の自分があったからこそ、今の自分がある。そういう風に最近は思えるようになりましたね。


●結婚して、一時は第1線を退かれたマリーンさんですが、メジャー復帰するまでの16年間、音楽的にどんな意味を持つ期間だったのでしょうか

プライベートも大切だったけど、自分にとって音楽はなくてはならないものだということが分かりましたね。だから、テレビなどのメディアにはでなくても、歌うことはやめなかったです。少なくとも月に3回は歌っていました。
この時期は、良い機会がなかったんです。同じ志を持っている人と巡り合うことがなかったので、その間は、メジャーで無理をする必要はないと思っていました。メディアに関わらず、もう歌うことは私の生活の一部になっていて、切り離せないものだということを再確認した時期でもありました。

そして16年が経って、私に情熱をかけてくれる話がやってきました。私自身まだまだ可能性があると思っていたし、とてもよいタイミングでした。

〜シンガーとして〜

●シンガーとして、普段から気を使っていること、心がけていることはありますか。


のどは大切にしていますね。つめたい水は飲まないようにしています。なるべく暖かい飲み物を飲む。家ではお水をお部屋において、室温で飲んでいます。

それから、ステージに立つことは、夢を与える仕事だと考えています。だからルックスにも気をつけています。ステージに立ちたいと思っているのなら、それに見合った女性でいたいというのは自分の中にありますね。

●影響を受けたアーティストはいますか。どんな影響を受けましたか。

JAZZではエラ・フィッツジェラルドが大好きです。
自分のインスピレーションになっているのはティナ・ターナーですね。彼女を見ていると年を重ねることがとても魅力的に思えてきます。今、彼女は60歳後半になるけど、まだまだとてもセクシー。こういう風に年をとれるならいいなぁと思います。

●シンガーとしてゆずれないことはありますか。

一流のミュージシャンといい音楽をつくることですね。シンガーが一人でステージに立ったとしてもアカペラ1曲2曲が精一杯。それ以上はやっぱり素敵なミュージシャンの力が必要です。彼らのおかげで自分も輝けるんだと思います。

私は完璧主義なところがあるんです。完璧というものはないということも分かっているんですが、いつもそれに近いものを追い求めている。

だからね、以前はアマチュアのミュージシャンと演奏することはありませんでした。
だけど、あるときにとあるアマチュアバンドに熱烈にお願いをされたんです。お断りしてもお断りしても引き下がらずに依頼してくださいました。

うちのバンドでマリーンさんが歌ってくれたら、みんなのやる気も上がる。ぜひ一緒に舞台に上がらせて下さい。とお願いされ、さすがに私も断れませんでした。でも一緒にやる以上はしっかり練習してくださいね。っていう約束をしました。
そうしたらもう驚くほどしっかり練習してきてくれたんです。リハーサルのときから彼らのスピリットを非常に感じました。

腕のいいビッグバンドって、歌っていると後ろからポーンと押されるような感覚があるんです。プロでも音がまとまらないとそういう感覚にはならない。そのバンドからは逆に私がパワーをもらいました。それからは、私だって最初はアマチュアだったんだ、それを忘れちゃいけないなと思うようになりました。

そのバンドとは、今でも声をかけていただくたびに共演するようになっています、2年前の「Jazz’n Out」のツアーでは、大阪や佐世保、名古屋で、プロのリード以外はそのア

マチュアのビッグバンドでした。とっても情熱的でね、本番を終えた後にみんなで泣いたりして、本当によい経験になりました。アマチュアのそういうスピリットは忘れないようにしたいですね。


〜プライベートについて〜

●メジャー復帰後、プライベートと音楽のバランスは、どのようにとってらっしゃいますか。

どちらも私にとってはかけがえがないもので、自分の命です。
私が仕事をして帰ってくると子供たちが「マミーお帰り!」といって出迎えてくれます。そんな子供たちからパワーをもらって、また仕事に出かける。
どっちがいいとか、どっちが大切ということはないんです。家にいたらママの顔、仕事にいくときは一人の歌手として自分があるというのは、私にとってとても自然です。

今の私は、ファミリーがいるからこそいい歌がうたえるんだと思います。

●マリーンさんはどのようなお母様なんですか。

すごく厳しいですよ。鬼ママです(笑)子供って本当に気が長くないと付き合えない。私も子供ができてから、人間的にとても成長できたなぁと思っています。
子供には特に挨拶と人を尊敬することを大切にできる人になって欲しいと思っています。

〜今後の活動について〜

●メジャー復帰後、第2弾となる「マリーンsings熱帯JAZZ」は初のラテン・ジャズ・アルバムですね。なぜラテン・ジャズをやろうということになったのですか。

昔からやりたかったんです。ファンにも歌ってほしいといわれていたし。

前作の「Jazz’n Out」の発売記念ライブツアーを終えたあと、次は…っていう話になって、私からラテンをやりたいと言いました。私の中にはもう構想があって、ぜひカルロス菅野さんとやりたいって。そこからはスムーズに話が進みました。

目標は、持ち続けていれば、それに知らないうちに向かっているものだと思います。私は、‘ネバーギブアップ’、そして‘インポッシブルなことはない’といつも自分に言い聞かせています。

私がもう一度メジャーでやりたいというのには理由があるんです。
それは、以前メジャーだった時期の思い出が、まったくないからなんです。ファンの方に、どこどこのステージでこうだったよねっていわれるとやっと思い出す程度。忙しすぎて、仕事をこなすだけで精一杯でした。

だから神様にお願いしているんです。今度のメジャーでは、ひとつひとつの仕事をすべて味わいたい、って。


お忙しい中、ありがとうございました。


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