クラリネット奏者としてプロ63周年を迎え、ますます勢いにのる北村英治さん。北村さんの歩みとこれからの思いについてお話していただきました。
楽器はスタンダードのモデルで一生懸命練習したほうが良いですね。指は過保護にあつかっちゃいけない、練習すれば指は動きますから。裏技的な指使いもみんな自分で編み出しています。管楽器は生き物って思ってほしいです。自分が努力して鳴らすんです。
< 北村英治 >
● 最初にクラリネットと出会ったのはいつですか?
14歳の時にクラリネット奏者ベニー・グッドマンの曲を聴いたんですよ。クラシックしか聴いちゃいけない家だったんですがね。小さいレコードがあって、それを聴いてみたら凄い音楽だなぁと思いました。でも当時日本は戦争中で、ジャズは敵国の音楽だったからお袋に言われて押入れで聴いていました。その後16歳の時に終戦になって、クラリネットをやりたいなと思ったんです。楽器屋に中古のクラリネットが売っていてね。バス代を浮かしたりして1年半こつこつお金を貯めました。楽器を買うまでコーヒー飲まないって宣言したりして。それと、その間練習のために、竹ぼうきの柄に焼け火箸で穴あけて運指を練習していました。頭の中では良い音が鳴っている気分になって、指だけ先に覚えたんです。ジャズとかモーツアルトとか風呂にはいりながらも練習して。エアクラリネットですね。(笑)
● じゃあ初めてクラリネットを手に入れたときは…。
そりゃあもう嬉しかったです。クラリネットは5つのパーツでできていて普通はセットで作られて販売されていますけれど、そのクラリネットは上管がアメリカ製で下管がドイツ製のつぎはぎの楽器でした(笑)。でもちゃんと音は出て指もぱらぱら動くし、すぐに何曲か吹けました。竹ぼうきの練習は役に立ちましたね。19才の頃でした。学校で吹いていたら、友達が「ピアノやるよ」「ドラムやるよ」とか言って音楽室に集まって・・・そこから自然とバンドが出来ました。進駐軍で開催されるショーの仕事の誘いがきて、アルバイトとして演奏しに行ったんです。ジャズの譜面はある程度しか読めなかったけれど、楽器さえ持っていればミュージシャンだった時代でした。僕は運がよかった。とにかく楽器を演奏できるのが楽しかったんです。大学でも講義をサボって軽音部の部室ばかりにいて。それで夜はダンスパーティーや進駐軍の仕事に出掛けていました。
● 学生時代から音楽のお仕事をされていたのですね。ではプロになったきっかけはなんだったのでしょう?
知り合いのビブラフォンを弾いている人が、新しいバンドを組むからって僕を誘いにきてくれたんです。プロのミュージシャンになれば色んな仕事が出来るし、給料も払うよって。でも大学の卒業まで何年も残っていたし、僕困ってしまって。当時大学の文学部に凄く良い先生がいたから相談したんです。そうしたら先生に「やめとけ、生活できないよ」って言われてしまった。その頃は新聞に【バンドマン無銭飲食!】とかそういう記事がよく出ていたから(笑)。でも給料の話をしたら先生の顔色が変わって「大きな声じゃ言えないけどバンドマンなっちゃえ」って。それで僕は決心してプロになったんです。バンドの方々に色々な事を教えてもらいました。「プロになったらミスは許されない」「最低1日2曲覚えろ」とか厳しいことも言われたり。そのバンドは仕事がなくなるとすぐに解散してしまうのですが、その当時は音楽の仕事がいくらでもあっていろんなバンドが呼んでくれました。その度にギャラがあがったりして、いい時代だったんですね。それで何とかやっていけたんです。
● 数ある楽器の中でどうしてクラリネットを志されたのでしょう?
やっぱり僕はベニー・グッドマンの影響ですね。他にもテナーサックスなんかも試してみたことがあるけれど。僕が尊敬している※1テディ・ウィルソンというミュージシャンにサックスをやってみたら?と言われて試してみたんです。そしたら意外に良いフィーリングでね。テディには色々な事を教わりました。ある時プロモーターがテディに「世界一のクラリネット奏者はだれ?」って聞いたんです。そしたらテディは「ボクシングだったら勝ち負けがはっきりしているけど、音楽はそうじゃない。自分の思っている事を正しく表現できる人は皆ナンバー1なんだ。競争するものでもない。だから一流のミュージシャンは皆ナンバー1なんだ」って言ったんです。そしたらそのプロモーターの人、何にも言えなくなっちゃった。(笑)テディはジャズの本質を教えてくれたんだなあと思いました。
● やはり色んな方からの影響があるんですね
そうですね。他にも※2バディ・デフランコが初来日の時、彼の楽屋にいったんです。それで彼のアドリブを真似して吹いたら「君はプロか?何でプロが僕のコピーをするんだ?」ってバディが怒ってね。「プロだったら自分のオリジナリティのある演奏をやれ」って。僕はその通りだなと思って、それからはコピーするのをやめたんです。その6、7年後にヤマハホールでバディといっしょに演奏する機会があって。そうしたらバディに「コングラッチュレーション。エイジのスタイルができてきているね」って言ってもらえました。それで急に親しくなってバディと共演の仕事をもらったりできたんです。確かにバディの言うとおり、個性がお互いにあって音楽のコントラストができるんだって分かったんです。
● クラリネットは他の楽器と比べてどこが違うのでしょう?
やっぱり色んな事が表現できるでしょう。とにかく音域が広くて、暖かい音も冷たい音も出せるしこんな面白い楽器はないですね。人によって、体調によって、マウスピースとかリードによっても全然音色が変わりますし。フランスならフランスのメーカーの特長、ドイツならドイツの特徴もあります。僕は今ヤマハを使っているけど、ヤマハは自分で調整しやすいんです。ヤマハにしてから非常に吹きやすくなって、表現の幅が広がりましたね。
● 楽器を選ぶ時にこだわりなどはあるのでしょうか?
それはもちろん吹いてみて気持ちの良い楽器。おなじ機種でも個体差があるし、この機種だから安心っていうのはないですね。クラリネットほど裏切る楽器はないです。女性と同じ(笑)。大事にしないとすぐ駄目になっちゃいます。
● これからクラリネットを始める方にアドバイスをいただけますか?
スタンダードのモデルで一生懸命練習したほうが良いですね。指は過保護にあつかっちゃいけない、練習すれば指は動きますから。裏技的な指使いも、みんな自分で編み出しています。管楽器は生き物って思ってほしいです。自分が努力して鳴らすんです。
● 温度や湿度など環境の変化にも気を配らないといけないと伺ったのですが。
そうですね、リードも楽器自体も適当な湿度がないといけません。冬場の乾燥してる所では楽器管体に細かいヒビが入るし気をつけないと。だから乾燥している国の旅行では行ったらまず外気温とあまり差がないところで吹いて慣らしていきます。飛行機では絶対預けないで手持ちにします。預けて不具合が出ても文句もいえないですしね。デリケートな楽器だから絶えず自分の近くに置いておきたいですね。
● 楽器で日々こだわっていることはありますか?
僕は自分で楽器を調整するんですが、それが凄く大切なんです。全部いじってあります僕の楽器。兼ね合いが難しいけれど、抜けの良さとか管体の材質によっても違うし、どこで妥協するかですね。クラリネットはどんな名器でも完璧な楽器なんてない。自分の吹き方、口との兼ね合いをみつけて、この楽器ならこのマウスピースが合うな、とかそれが楽しいんです。特にバレルとマウスピースに神経つかいます。バレルは音色にものすごく影響しますから。
● 話が少し変わりますが、アドリブに関してはどういう勉強をされましたか?
アドリブにとって大切なものは、メロディを歌わせる事だと思います。ビーバップが好きな人は細かい指使いを使って、コード分散の複雑なフレーズを演奏するのが上手ですよね。でもスイングを中心にやってる人は節を作るアドリブが上手い。アドリブで大切なものは歌心だと思います。音楽の勉強は演奏者の心の問題でもありますからね。テクニックは練習し、心を伝えるための人間としての勉強も必要ですね。
● 北村さんからアットジャズを見ている人にアドバイスをいただけますか?
楽器と音楽を愛すること。それから良い先輩を見つけて近づくこと。話が出来なくても傍にいるだけでもいい。僕がそういう性分でしたから。僕は尊敬する人の楽屋に普通に遊びにいきます。チャンスがあったらガッと掴む事。偉大な人にどんなかたちでもいいから会いにいく事ですね。
● 人との関係を大事にすることで、音楽にも影響があるんですね。
そう、自分が勉強したいなと思うと先生はどこにでもいる。そして音楽を愛することと楽器を愛することは共通だとおもいます。
● これからの目標などはありますか?
バンバンやっていきたいですね。昨年参加したイギリスのフェスティバルも今年また誘ってもらってね。自分が今までやってきたことを、正直に表現できる場があたえられて嬉しいです。
● 本日は北村さんならではのこだわりなど、大変面白いお話を伺う事が出来ました。
ありがとうございました。
※ 1 アメリカ出身のジャズピアニスト。ベニー・グッドマンをはじめ数多くのビッグアーティストと共演している。
※ 2 アメリカ出身のクラリネット奏者。1991年4月に来日公演が開催された。
2013年11月11日 都内某所にて