BLUE NOTE 人生を変えた一曲 行方 均さん - アットジャズ |
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インタビュー:by 山口ミルコ
はじめに
ジャズといえばブルーノートだ。 なのに自分はどれだけブルーノートのことを知っているだろう? 「クール・ストラッティン」や「サムシン・エルス」を聴いているし、アート・ブレーキーやコルトレーンも知っている。 しかしそれらはあるていど生きてきたことによる、ささやかな知識にとどまっている。 筆者はジャズに、「聴く」「演る」の両面から親しんできたジャズファンのひとりだ。 中高吹奏楽部で管楽器を始め、その後ビッグバンドに転向、大学のジャズ研に入ると同時に先輩からカセットテープの束をどっさりもらった。その中身はブルーノートの、いわゆる1500番台とよばれる作品群であった。80年代半ばのことである。 あれから幾星霜。 ここへきて、「聴く」「演る」に、「読む」も加えてみたところ、 ブルーノートの世界は「しごとのヒント」の宝庫である、と知った。 音と物体 だけでなく、カンパニーでありファミリーであり、そこには語られるべき生身の人間の物語がある。 ブルーノートを知ることは、愛や友情、縁や時代について考えること、ものづくりの原点について思索をめぐらすこと、それらは今後の私たちを支えてくれるにちがいない。 「有名なジャズの作品がある」 「それは長くいまも売れている」 「本もたくさん出ている」 そんなブルーノートの、時代を超えて人をひきつけてやまないところに、先達の力をお借りして踏み込んでみようと思う。 ブルーノートを"なんとなく"知っていたけどよく知らない方、知りたいけれどきっかけのなかった方、 も、ぜひご一緒に。 ブルーノートのことをやるとなったら、日本における"ミスター・ブルーノート" 行方均氏(以下ナメカタさん)に会わないわけにいかない。 レコード会社のプロデューサーとしてビートルズからブルーノートまで、日本の洋楽史に欠かせないことをぜんぶやったひとだ。 多くのブルーノート関連書の監修もされている。 そしてたくさんの、ジャズについての名文を書かれている。 ナメカタさんによる「ブルーノート・レコード」(リチャード・クック著/ 朝日文庫)の解説は、涙なしには読めない。80年代の終わりに山中湖でひらかれたジャズフェスティバル( 当時、私も通った ) にまつわるくだりを含め、三度泣いた。 ミルコ: ナメカタさんは日本でブルーノートシリーズを、発行し、売り、多くの日本人にひろめられました。さらにご自身でも文章を書かれる。ブルーノートについてのエピソードとヒストリーにあらゆる考察を加えて発表され各々すばらしいのですが、私がもっとも関心を寄せるのは裏方にフォーカスしているという点です。書き方がまた、ドラマチックで上手い。ブルーノートの創立者 アルフレッド・ライオンと、彼の少年時代からの親友でブルーノートの共同経営者となる写真家のフランシス(フランク)・ウルフ、録音技師のルディ・ヴァン・ゲルダー、ジャケットデザイナーのリード・マイルス・・・それぞれまた追って読者に紹介していきたいと思うのですが、つまり演奏家ではない彼らをフィーチャーし、彼らの創作を王国と呼んだ。僭越ながら申し上げると、そこが大きなナメカタさんの功績だと思うのです。 ナメカタ: 私はレコード・プロデューサーなので、送り手なんですよね。送り手には送り手側のドラマというものがあって、仕事をやっているなかで、それに出会うことが多い。さらにブルーノートというのは極めてそうしたドラマを持ってすすんできたものなんですよね。 ミルコ: 作品そのものももちろん大事なんだけど、ナメカタさんご自身が作品の送り手であることから、その作り手集団ーー裏方のひとたちをアーティストとして紹介されたと。たとえば、「サムシン・エルス」はマイルス(・デイビス) のアルバムではなくキャノンボール(・アダレイ)のなのだけれど、キャノンボールの作品というより、ブルーノートの傑作であると。それをナメカタさんの言葉にすると、「それがすでにブルーノートである」。そして、「本来は " 舞台" であるはずのブルーノートが主役である」と。 ナメカタ: ブルーノートが他と決定的に違うのはそこです。たとえばビル・エバンスやオスカー・ピーターソンといった何人かのスーパースターとよばれるひと達が次々アルバムをつくる、ということがレーベルにはあります。ブルーノートにもジョン・コルトレーンの「ブルー・トレイン」という名作がありますが、ブルーノートではこの一作だけなんですね、コルトレーンの作品って。言いたいのはブルーノートのブランド性というのは舞台のブランドであって、スーパースターが主役であり続けることによって出来上がっているブランド性ではない、ということ。「スーパースターであってもなくても、あるひとが、ある瞬間的に、ここですばらしい出し物をみせてくれた」という蓄積のなかで、(舞台に) 上がっている主役よりも舞台のほうが有名になった、ということなんですね。そんなことを考えていたのはもちろん私だけではありませんが。 ミルコ: そこのところを明確に、送り手側であるナメカタさんが言語化された。ブルーノートの主宰であるアルフレッド・ライオンが、ブルーノートのどのレコードにも一切、自分の名前を記載していないというエピソードが、ナメカタさんのエッセイでも度々紹介されていますね。 <以下、引用> あなたはなぜ制作者としての自分の名前をブルーノート盤にまったくクレジットしなかったのか? という問いに、アルフレッドは最晩年のインタヴュー(米「オーディオ」誌) で笑いながらこう答えている。 「必要がなかった。だって私自身がブルーノートだったのだから」 <「ブルーノート・レコード」(朝日文庫) の解説=行方均 の本文 より> 私はこれを読んで泣きましてね。ものをつくるならこうありたい、って、この文を読んでいたらなにかこう自分が好きなものの原点とか、人にものをつくって贈る気持ちとか、いろんな想いが込み上げてきた。ライオンさんは純粋に自分の大好きな瞬間を閉じ込めてそれをパッケージして大事なひとに手渡した、そんなところから仕事を始めて、最晩年のセリフがこれでしょう? ほんとうに素敵だって、おもうんです。 ナメカタ: 私が学生の頃、「スイングジャーナル」誌の読者欄の投稿を見ていたら、「ブルーノートの1500番台をぜんぶ集める!」と宣言してるひとがいたの。それに、なんかすごく腑に落ちたんだよな。ああそうか、ブルーノートと出会うって、そういうことなんだ、って。エバンスだ、コルトレーンだとかって話じゃない、「この劇場が開催する出し物はぜんぶ観るぞ」と、ブルーノートとはそう思わせられる存在であるなと思ったわけです。 私は幸い、なんのめぐりあわせか舞台側の人間になった。だったらおれが自分で紹介しちゃうのがはやいかな、と思ったわけ。というのが、ぼくがものを書き始めたきっかけです。で、じっさい舞台のウラ側へ行ってみると、舞台をつくっている職人って、ほんの数人、いるだけなんだ。その数人のドラマさえ紹介されていなかったから。その数人の、極めて個性ある人びとに、舞台のドラマが集約できるというのかな、そこがメッセージとして伝わりやすかったのかもしれないですね。 |
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